主観はあてにならない

 凄腕の不動産屋さんにで仮住まい先は、ほぼ決定。来週に契約して、少しずつ荷物の移動を始められそうである。(※池上の常磐不動産。あとでリンクを貼りたい。)

 平行して、自宅近くにレンタルスペースを借りた。仮住まいに持っていく必要のない重いものを入れておくだけでなく、リノベーション後も増える楽譜や趣味の書籍(笑)などを所蔵するためだ。

 部屋にしても、レンタルスペースにしても、無駄なく収納したり、無理なく動線をとったりするためには、きちんとした計測が欠かせない。

「入ると思ったのに」

「お店で見たときはもっと大きかった」

といっちゃあ、毎回やらかすのは私の母だが、目測が苦手なのに、自分の身体を使った概算すらしないのは、全くわけがわからない。(しかしおそらく、地図を見ないで「ナニか」を信じてずんずんと違った方向に歩く、オイラの方向音痴と同じ心の動きを感じるw)

 錯覚・錯視を例にあげるまでもなく、人間の脳は「見たままに認識」することはない。脳は勝手に「脳が解釈した意味」をつけてくる。しかも、その意味は人によって全くに区々で、時に共有することすら困難だ。

 まぁ、つまり、明日からメジャーを出して、ノートを持って、数字を測って配置を決めないと…なのである。

 測った通りにピッタリと収まると、テトリス級に気持ちが良いのも確かだし。